2013年9月17日火曜日

「小沢一郎はマスコミに対してオープン」激論!コロシアム 権力との癒着、これでいいのかニッポンのメディア(5) 文字起こし

出演者
メインコメンテーター
石原良純(俳優・気象予報士)
 

司会
堀潤(ジャーナリスト)
春香クリスティーン(タレント)
 

レギュラー論客
北野誠(タレント)
細川昌彦(中部大学教授)
 

ゲスト
小沢一郎(「生活の党」代表・衆議院議員)
ジェームズ・シムズ(米国人ジャーナリスト)
周来友(中国人ジャーナリスト)
金慶珠(東海大学准教授)
上杉隆(政治アナリスト)
やくみつる(漫画家)



金 皆さん国策捜査っていうふうに簡単におっしゃるけれど、いわゆる一連の小沢事件の一番の特徴は、これが小沢一郎対官僚機構、あるいは小沢一郎対検察、あるいは小沢一郎対メディアというふうに、何らかの対決の中で誰が悪で誰が善で、誰が勝ち組か誰が負け組かっていうのをいまだに追求する見方からわれわれは脱しきれていないっていうとこだと思うんです。
 で、その検察がどこまで意図的だったかっていうのは、最後のほうはあいまいですけれども、確かに西松建設事件から始めて一定の狙い撃ちをしたという感はある。
 その背景に、いろいろ、官僚改革とか、政治改革とか、あるいは政権交代とか、田中先生の一件とかあったとしても、簡単に言えば、私はそれは権力闘争だったと思うんですね。
 その権力闘争に小沢さんが結果として不利な立場に立たされた背景に、メディアの役割が一つ大きくあったというふうに思うんですが、その点で日本のメディアの、あのときの一連の小沢先生の一件を報じる姿勢で、ご本人としては一番何がご不満に感じられた部分だった んでしょうか。

小沢 まあ、あの、僕が不徳の致すところでメディアに嫌われていたのが背景にあるんだと思いますけど、今言ったように、役所の言う通りにしないと、日本はメディアだけじゃなくてほとんど成り立たないですよ、全ての大企業であろうが零細、中小企業であろうが。
 僕は戦前以上に官僚全体としての支配機構は影響を及ぼしてると思いますよ、全国民的に。

堀 実を言うと、当時私、夜のニュースで取材をする側だったんです。
 一方でここに欠落しているのは、一般の市民の皆さんが、なぜこれだけ大きなお金が自分の知らぬところで動いていたのか、その真相を知りたいという声も非常に大きかったので、それで取材を続けていたというのもあったんですね。

金 お金ってなんのお金ですか(笑)

小沢 何のお金?

金 4億円?

堀 そのお金。一体どういうふうに動いているのか、まさに・・・。

石原 それをメディアが報じてた。

金 ま、いわゆる、政治と金の疑惑・・・。

上杉 メディアは・・・であることを分かっていて、そこをあえてえぐって報じたんですよ。そこを報じちゃうと、あれ? 大した事件じゃないじゃないかとなっちゃうんで、そこのところは何度小沢さんが説明しても駄目なの。
 で、あんときに思ったのは、あのときに週1回、小沢さんずっと記者会見に出てましたよね。ところが、ほとんどテレビは「小沢一郎雲隠れ、出て来ない、説明責任を果たさない」と。毎週1週間に1回、きちんと記者の質問が終わるまで 、しかも・・・。

堀 実際にはNHKの記者も質問していたっていうように記憶しているんですが、それが放送されなかったということですか。

石原 でも、今出ましたよね、説明責任って不思議な言葉ですよね。

小沢 (笑)そうそう。

石原 急に出てきた説明責任てのは、どこにどういう責任があるのか。

北野 それを言い出したら、政治と金っていうのは、一体何を表してるんだっていう話ですよね。

堀 ちょっとこちらで小沢さんとメディアをめぐるこれまでの経緯を検証してみましょう。こちらのボードをご覧ください。

相澤 90年代始め、自民党の幹事長だった小沢さんは、当時大手メディアだけに参加が認められていた記者会見をフリー記者などにも開放しました。記者会見を平等で開かれた場にしたいということだったんですね。そしてこの当時は小沢さん自身も積極的にメディアに出ていました。政治討論番組にも率先して出演していたんですが、自民党を離れてから会見以外であまりメディアと接触しなくなりました。
 ところが時が流れて2007年、動画サイト、ニコニコ動画に登場。さらに小沢一郎チャンネルを開設し、 独占インタビュー映像を公開したりとネット上には積極的に登場するようになりました。
 
 さらに時が流れて2013年、参院選で生活の党大敗。この理由として小沢さんがおっしゃったことが「あまり報道していただけなかった」。テレビや新聞と距離を置いていたようにみえる小沢さんですが、本当はもっと出たかったということでしょうか。

石原 僕は前、選挙番組で街に取材に出ていて、小沢さんとすれ違いまして。

小沢 ああ、そうですか(笑)

石原 でもあまりの迫力に怖くてマイクが向けられなかったというのが、本当に私一生涯の思い出といいますか(笑)

北野 思い出(笑)

石原 でも、その迫力というのは近づけない、近づくなオーラみたいなものを感じてた人もいると思うんですけど、その辺りは、どうメディアとの距離を保たれていたんですか。

小沢 いや、多分僕ほどメディアというか記者の諸君としょっちゅう付き合っていた人間はいないと思います。
 俗に言う番記者と言われるような人たちは、私の考え、僕の意見を彼らは知ってるわけですよ、分かってんですよ。だけど、それが社に帰ると報道としては新聞でもテレビでも、それが全く違った形で出されると。「おまえたち全然違うじゃないか」って言っても「いやあ、僕らは、うん」つう話になっちゃう。

周 それは多分小沢先生のせいだと思うんで。何かと言うと人相が悪いんだよ。

小沢 (笑)

周 どういうことやっても、やっぱりたたかれやすいんですよ。

小沢 そうかもしれません(笑)

周 だって、どう見たって、私から見たって悪代官みたいな感じで。

(一同笑い)

小沢 (苦笑)

シムズ 私は90年代後半、自由党のときに、よく会見とか出てたんですね。で、あのときも、確かに番記者っていわれてるグループの中で、会見かなんか、briefing(簡単な説明会)終わった後にオフレコの話になるっていうことでちょっとまずい雰囲気になってて、私が番記者じゃないっていうことで。別に小沢さんを擁護する立場じゃないんですけど、あのときは「別に残ってもいい」っていうことで・・・。

上杉 うん。

シムズ だから、あのときから割とマスコミに対して、海外のマスコミにしてもオープンっていう感じはあったんです。ま、その後はもうちょっといろいろ変化があったかもしれないですけど。

上杉 僕もちょうど99年、ニューヨーク・タイムズにいたときに、やはり小沢さんの会見出てるんですよ。それで、他の政党の党首の会見でれないんです。唯一、あのとき自由党の会見だけがオープンになったので出れると。
 要するに、メディアのほうは、小沢さんを知らない人は怖がるんです。その恐怖が逆に攻撃性に変わると。

春香 なるほど。この後もメディアと政治家について、徹底的に討論したいと思います。



 
 
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