去年(2012年)1月
宮崎 いや、席なんか立ってはいけない。 これを突破すればできる。
宮崎は映画づくりの難所に差しかかろうとしていた
幼いころから空への強いあこがれを抱いていた主人公、堀越二郎
だが、設計士になった二郎を待っていたのは戦闘機をつくる仕事だった
戦争の道具となった戦闘機
それをつくった人間を描くことはあの戦争を賛美することにならないか
宮崎はその問いと向き合い続けてていた
(作曲家、久石譲と)
宮崎 「戦争の道具をつくった男の映画をつくるんですか」と言われたんですよ。で、それに答えなきゃあいけないんです、僕は。だから、この前ね、それを本人に言ったら「その疑問は宮崎さんの中に繰り返しあるもんなんでしょう」と。
とりあえず、まあ、うちのカミさんは「何で戦争の道具をつくった人の映画をつくるの」と言ってますから、それに答えなきゃいけないんですよ(笑)
宮崎が生まれたのは太平洋戦争開戦の年
父は軍事工場の責任者
ゼロ戦をつくることもあったという
宮崎 納屋に二つ並んでるの見て。だから、今思うとあれ、ゼロ戦の風防だったんだって思うけどね。だけど、ピカピカ光ってて、なんか不思議なもんだったですよ。
だが、その後空襲の悲惨な姿を目の当たりにし、
戦争への嫌悪感を人一倍募らせていく
戦闘機への愛着と、戦争への憎悪
宮崎自身もまた、矛盾を抱えて生きていきた
宮崎はこの日、重要なシーンの絵コンテに向かった
宮崎 あー、面倒くさい。
(鼻歌)やばい、やばい、やばい、やばい。やばいぞ、お父さん。
二郎の夢に、イタリアの偉大な設計家カプローニが現れる
そして、戦闘機という殺りくの道具をつくる覚悟があるのか二郎に問う
(宮崎が絵コンテに文字を書く、空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある)
宮崎 「呪われた仕事なんだ」って「お前その覚悟はできてんのか」ってカプローニに言われるんですよ、そういうふうには言わないけどね。それ入れないといけないと思ってるんですよ。呪われた仕事だってことは分かった上でやってないと話になんない。つまんない。
カプローニの問いかけは宮崎に向けられたものでもある
戦闘機をつくった人間の映画をつくりきる覚悟はあるか
実在した堀越二郎は自らが設計した戦闘機を見て
「美しい」と言ったという
宮崎 難しい。
(「僕は美しい飛行機をつくってみたいと思っています」と二郎のセリフを絵コンテに書き込む)
短いセリフを記し、宮崎はスタジオを後にした
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