2013年7月31日水曜日

世界をかける「はだしのゲン」 クローズアップ現代 文字起こし

球界を代表するスラッガー新井貴浩選手

そして人気歌手、ゆずも

ある漫画に熱中しました


原爆で家族を亡くしながらも

広島で力強く生きる少年を描いた「はだしのゲン」です


発行部数は国内外で1000万部以上

20カ国で出版され

連載から40年たった今も世界中でファンを増やし続けています

今月には核開発問題に揺れるイランでペルシャ語版が発売されました


イラン人女性 とっても面白かった。一気に読み終えちゃったわ。


テロとの戦いを掲げイラクに派兵したアメリカ

ゲンの物語は帰還兵の心も揺さぶっています


元アメリカ軍兵士 戦争に行く前にこの物語を読むべきだった


世界をかける「はだしのゲン」

その魅力に迫ります



国谷 こんばんは、クローズアップ現代です。
 「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんは6歳のとき1.2キロの所で被曝し、もしコンクリートのかべに寄り添っていなければ自分は黒焦げになって死んでいただろうと書いています。
 原爆地獄の中を必死で逃げ抜き、母親と再会することができましたが、父親、姉、弟を亡くし、自らもやけどを負いました。そのときの体験を、そのまま主人公に投影して創作したのが「はだしのゲン」です。原爆投下直後の広島の惨状、それとともに貧困や差別に苦しみながら、戦後の過酷な社会の中を力強く生き抜く少年の姿を描いたものです。戦争、そして原爆に対する怒りに突き動かされて創作された「はだしのゲン」。その中沢さんは、73歳で去年の暮れ亡くなりましたが、最後まで使命感を持って子どもたちに伝える活動を続けました。その中沢さんの思いに応えるかのように、今「はだしのゲン」は世界各国で読者を広げています。「はだしのゲン」が翻訳、出版された国々は20カ国に及びます。

(アメリカ、ロシア、フランス、スペイン、ドイツ、オランダ、ポーランド、韓国、タイ、イラン、インドネシア、ブラジル、フィンランド、トルコ、ウクライナ、イタリア、クロアチア、ノルウェー、スウェーデン、パキスタン)

国谷 ご覧のように、ロシアやアメリカといった核保有国、お隣韓国などのアジアの国々、そしてヨーロッパ各国でも翻訳されています。その多くが「はだしのゲン」を読んで感動した日本人や、海外の人々によるボランティアで翻訳されたものです。
 なぜ今「はだしのゲン」が国境を越えて人々の心を捉えているのか、まず初めに、これまで明らかにされてこなかった「はだしのゲン」連載をめぐる中沢さんの苦闘です。





1.試行錯誤の連載


「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの妻、ミサヨさん。

中沢さんが亡くなって半年あまり

ミサヨさんは作品に懸けた夫の思いを初めて語りました


中沢ミサヨさん 「俺はやらなくちゃいけん」ていうか「漫画の武器を使って子どもたちに知らせる」「原爆に対する知ったこと、思ったこと、全部「はだしのゲン」に託してやるんだ」と。



連載のチャンスを得たのは昭和48年

「マジンガーZ」や「ど根性ガエル」などの人気漫画で急速に部数を伸ばしていた

「少年ジャンプ」がその舞台でした


中沢さんがこだわったのは

被曝直後の悲惨な光景をありのままに表現することでした

爆風で全身に突き刺さるガラス

熱線で皮膚が垂れ下がった人々

建物の下敷きになり火に巻かれて亡くなるゲンの家族

父、姉、弟を失った中沢さんの体験を基に描きました



中沢ミサヨさん やっぱり体験者じゃないと分からないじゃない。だから俺が見た目で思ったことをやると。やっぱり、これ使命感ていうかね、こう、誰かが背中で「お前、描け、描け、と言ってるような感じがする」って言ってましたからね。



しかし「はだしのゲン」は苦戦を強いられます

読者の人気投票を基に決められる掲載順

連載当初の4番目から

2カ月後には最下位寸前にまで落ち込みました


当時の連載の場面

(ゲンが自分の髪を引っ張るとゴソッと抜け落ちる描写)

原爆症の死の恐怖に怯えるゲン

生き残った母親や生まれたばかりの妹のために

あてもなく食べ物を探すゲン

孤独で寂しい場面が続いていました


当時、編集者として中沢さんの下に通っていた山路則隆さん

読者の厳しい反応を中沢さんに伝えていました



山路 一方のほうでは「いつまで続けるんだ」とか「もう、こんな暗い作品はもう真っ平」だとかね、そういう反応はもちろんあったんですよ。でもリアルに描きたい、でも本当のこと描きたいという、その相克はずーっとあったんだと思います。



将来を担う子どもたちにこそ

原爆の本当の姿を伝えたかった中沢さん

少年誌での低迷に悩み続ける姿を

ミサヨさんは間近で見ていました



中沢ミサヨさん 家族が死んだ後、その次のストーリーが面白くないんですよ、全然。悲しいばっかりで、重くて。「つまんないよ、これ」って言ったらねえ、本人もそう思ってるって。それじゃあ駄目だから、とにかく面白く持っていくにはどうしたらいいか、そればっかりですね。



どうすれば読者を引きつけられるのか

試行錯誤の末に思いついたのは

新たなキャラクターを登場させることでした

建物の下敷きになった弟とそっくりの隆太です

原爆で孤児となり

食べ物を盗んだ隆太と偶然出会ったゲン

隆太を助けたことで仲間となり

次第に明るさを取り戻していきます


中沢ミサヨさん 孤児の仲間、みんな生きる力を持っているじゃないですか。一生懸命生きているじゃないですか。「もう、すーごい面白いわ、ワクワクしちゃうから次読みたくなっちゃう」って言ったら、よしって感じで、もう次進むんですよね。


原爆の病気がうつるという偏見にも負けないゲンたち

間借りした家でいじめに遭っても

それをはねのけていきます


仲間を得たゲンが

困難に打ち勝ち、成長していく物語が

読者の心をつかんでいったのです



山路 ゲンは自分一人のために、自分勝手に悲惨な状況、悲惨な環境でそれを嘆きながら、怒りながら生きているわけではなくって、人の面倒を見たりとか、助けたりとかすることでもって、そういった子どもの成長物語にしたいんだと。で、それを読者が一緒になって漫画を読むことによって疑似体験できるわけなんで。



中沢ミサヨさん 原爆で苦しんでたけど、だけど生きていくじゃないですか、精いっぱい。だから、その生きる力、負けるなよっていうね、あれが言いたいんでしょう、実際、うん。どんなことが遭っても生きていけよというさ。それがテーマなんですよね。





国谷 連載中、中沢さんは悪夢にうなされながら被爆の惨状について描き続けた、と妻のミサヨさんは語ってくれました。作品は、主人公のゲンが中学校を卒業し、画家になるため上京する場面で終わっています。中沢さんは、ゲンを通して東京での被爆者の苦悩について描きたいという構想を練っていましたが、白内障に悩まされ作品を描き上げることはできませんでした。
 しかし力強い作品に感動した人々から、海外の人々にも読んでほしい、翻訳させてほしいという申し入れが相次いだのです。中沢さんは世界中の子供達に読んでほしい、と著作権に対する対価を求めることなく快く応じ、作品は主にボランティアの手によって20カ国語で翻訳されたのです。
 今「はだしのゲン」のメッセージは被爆の惨状だけにとどまらず、世界が抱える問題とも重ね合わせて新たな共感を得ています。





2.世界をかける「はだしのゲン」



核開発問題に揺れるイラン

今月「はだしのゲン」のペルシャ語版が出版されました

原爆をありのままに描いたストーリーに

注目が集まり始めています


イラン人女性A とっても面白かった。一気に読み終えちゃったわ。原爆があんなにひどいものだなんて。


翻訳したのは広島に留学しているイラン人のサラ・アベディニさん

万が一にもイランが核兵器を開発することがあってはならない

サラさんは「はだしのゲン」を祖国の人たちに読んでもらいたいと

ボランティアで翻訳を買って出ました



サラ・アベディニさん 体の皮がむけたりとか、髪がそのまま抜けちゃったりとか、そこまでのことは「はだしのゲン」を読むまでは知らなかったんですよ。この悲しい気持ちを、できればイラン人にも伝えるんだったらいい本になるんじゃないかと思って。



この日、イランの書店では

「はだしのゲン」の読書会が開かれていました

核兵器とどう向き合うべきか

イランで本音の議論が始まりました



イラン人女性B 私だったらどうしただろうって思ったわ。家族が生きながら焼け死ぬところは心が痛かった。想像するだけで本当に大変だわ。

イラン人女性C それでも世界から核兵器をなくすのは理想にすぎないと思う。戦争はなくならないから。特に中東ではさまざまな紛争が起こるし。私たち市民が核兵器をなくすことができるのかしら。

イラン人女性D 核兵器をなくす方法があるとすれば、それは私たちが知識を身に付けることだと思う。核戦争や放射線などの恐ろしさをみんなに知ってもらうべきだわ。



原爆を投下したアメリカでも

「はだしのゲン」は共感を呼んでいます

「はだしのゲン」が読まれている学校は

小学校から大学まで

2000以上に上ります



レナード・ライファス教授 この漫画は本当にパワフルです。中沢さんの作品はさまざまな感情をかき立てるのです。



「はだしのゲン」を題材にしているレナード・ライファス教授

これまでは歴史の一コマとしか受け止められてこなかった原爆に

学生たちが興味を持つようになったといいます



女子生徒 少し前に歴史のクラスで原爆について学んだけど、今回のほうがより身近に感じることができたわ。

男子生徒 漫画の絵が生々しかった。アメリカ人がこれを読むのは重要だと思う。



「はだしのゲン」を過去のことではなく

現代の戦争と重ねている人がいました

カルロス・グランデさんです

3年前まで陸軍の兵士として

イラク戦争の最前線で戦っていたカルロスさん

同じ部隊にいた5人の仲間を失いました


カルロス・グランデさん 彼らが死んだと聞いてショックだったよ。そんなはずはない、とかすかな望みを持ち続けた。でも本当に死んでいたんだ。


当初は自分の苦しみにばかりとらわれていたというカルロスさん

しかし「はだしのゲン」に出会い考えを変えました

最も衝撃を受けたのは

両親の死に直面する孤児たちの姿でした

カルロスさんは戦場で親を失った多くの子どもたちと出会っていました

「はだしのゲン」で描かれた

孤児たちの苦労や悲しみに触れ

イラクの子どもたちの心情が

初めて分かったと言います




カルロス・グランデさん ゲンにはすべてが描かれている。実際の子どもたちの気持ちが分かる、力のある物語だよ。




自分が参加した戦争は正しかったのか

カルロスさんは疑問を持ち始めています




カルロス・グランデさん 戦争に行く前に読むべきだった。戦争が何をもたらすのか、世界中の人はこのマンガを読んで知るべきだ。





3.演出家 木島恭と「はだしのゲン」


国谷 スタジオには「はだしのゲン」のミュージカルの脚本、演出を手掛けられ、そして国内だけでなく、海外での公演を続けていらっしゃいます、演出家の木島恭さんにお越しいただいています。
 今のイラクから帰還したアメリカ兵のカルロスさんが「戦争に行く前に読んでおけば良かった」という言葉が印象的だったんですが、「はだしのゲン」20カ国に出版、翻訳されて、そのうちは、この10年間に半分以上が出版されているという、世界への広がり方を、どう捉えていらっしゃいますか。

 木島 そうですね、先ほどの女性の話にもありましたが、戦争という問題と核の問題が非常に身近なところに あるんだなあということを感じますね。第2次世界対戦終わって随分たちますけど、そういう、時間ではなくて、今まさに近い状態に戦争なり、核という問題を、みんな世界が抱えているんだという情勢が一つは影響しているんではないかというふうに思いますね。

国谷 海外ではアメリカを初め、ロシアやポーランドなどでも公演されてますけど、どういう反応が多かったですか。

木島 そうですね、アメリカは戦争を集結した平和の爆弾という教育が行われていまして、ただ被害の実態についてはあまり伝えられていないんですね、意図的に伏せてるということもあると思うんですけど。ですから、原爆がこんなに悲惨な状態を生むんだということを目の当たりにするのがショックだったという、ちょっと認識が変わったという意見が結構ニューヨークでは多かったと思います。
 で、ポーランドはアウシュヴィッツを抱えてますから、ナチス・ドイツの問題のあれで。幸せな家族が突然引き裂かれて、不幸というか、災難というか、そういう弾圧なり、いろんなものが起きてくる ことの、彼ら自身が抱えた問題と、ゲンが被曝によって受ける差別だったり、本当に幸せな家族が崩壊させられていく人たちの心というか、気持ちというか、そういったものがとても共感を呼んだんではないかというふうに思いますね。そういう意見、とても多かったです。
 それから、ロシアはチェルノブイリの事故の被害者の方たちが観劇にいらっしゃいまして、放射能の被害を受けた後に、自分たちが現実に抱えている問題、それが「はだしのゲン」の中でも起きてくる。伝染病という言い方はもうこの時代ではないでしょうけども、差別という形につながっていったり、自分たちが帰りたいと思ってるところにも帰れない、日々、放射線を計りながら食べ物を食べなければならないということが決して原爆という放射能の問題ではなくて、現実に自分たちが抱えている放射能とどう対応して生きていくかということと結びつけて捉えられる方が多かったみたいですね。

国谷 原爆に対する強い怒りに突き動かされて創作された、この「はだしのゲン」ですけども、最も中沢さんが伝えたかったのは生き抜くことだと。

木島 はい、そう思いますね。もちろん被害の実態、戦争というものが何を起こしたのかというのは前半部分では強く語られるんですけども、実際、人は強く生きていかなければいけませんから、いろんなことがありながらも生き抜く力というのかな、生きようとする努力、エネルギーみたいなものをゲンを通して感じてほしかったんだろうと思います。ただ、生き抜くというと、とても個人的なことだったりしますから、じゃあ俺が生き残るためには人を踏みつけにしていいんだということにもなりかねないので、そういうことではなく、助け合って、同じように力を尽くして、支え合って生きるということが中沢さんにとってはとても大事だったんだろうと思います。それは、自分は被爆者で原爆という体験を持ちますけれども、同じように日本中の人たちが戦争という被害を受け、同じように孤児になり、同じように家族を失った人たちがたくさんいたでしょうから、本当に一つになって、みんな同じ思いだろうというような支え合い方というものは、中沢さんの中には強くあったんではないかと思いますね。

国谷 そういう中沢さんの思いが世界の人々にも共感を呼んでいるということもあって、ボランティアとしてぜひ海外に伝えたいという、ほとんどボランティアの方が出版を手助けしているって言うところが、やっぱりすごいですねえ。

木島 はい、それは一つに漫画という媒体の力があると思うんですよね。漫画というのはコマとコマでつながりますから、間の部分をどうしても読者の側が埋めなきゃいけない、そこに参加せざるを得ない。これは演劇もライブですから、同じように観客を必要とするんですけれども。40年前に描かれた漫画ですら今読み手がその中に入らざるを得ない。そうすると、もらった感動ではなくて、自分自身のアイデンティティみたいなものをそこで試されてしまうっていうのかな。で、そこで受けた感動は漫画からもらうんじゃなくて、自分の感動なんですね。それはやっぱり同じようにみんなに分かってほしい、みんなに伝えたいという思いが自分の国の言葉に訳して、みんなに話したいということにつながってる大きな要素ではないかと思いますけどね。

国谷 自分の体験になっていくんですね、そのコマを埋める作業が。

木島 はい、そうだと思います。疑似体験ですけど、明らかにそこで自分自身が積極的に参加するという形でこの作品が生き続けていくという大きな要素になってるんではないかと思いますね。

国谷 中沢さん、本当に最後まで若い人たちに伝えたい、子どもたちに伝えたいという思いを強くお持ちで、妻のミサヨさんがおっしゃってるんですけれども「とにかく未来を背負う子どもたち、戦争体験を知らない、戦争体験を知らないから世の中が戦争の方に向かっていっても分からないんではないか、そのためにも「はだしのゲン」を読めばちょっと待てよ、小さいころ読んだことを思い出して、もう一回大人になって読んでみようという気持ちになるんではないか、そのために子どもたちに読んでもらいたい」っていう思いだったそうです。

木島 はい。だんだんほっとけばなくなっていくのが時代ですから、本当に入り口でいいので、こういうことをきっかけにこういうことがあったんだよ、そっからじゃあ、自分は何を知って、さっき「止められるとすれば知識だけ」だとおっしゃってましたけど、知ることが始まりですから、そういうふうなきっかけになれる作品になればいいなあと思いますね。演劇も漫画も、あらゆるメディアが、知ることから始めていただければ先へつながっていくんじゃないかというふうに思います。

国谷 多彩な問題を投げかけていらっしゃいますけども、その漫画を通して議論の場といいますか、話し合える舞台のきっかけになるといいですね。

木島 はい、そう思います。

国谷 きょうはどうもありがとうございました。

木島 ありがとうございました。






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